自由主義の基盤としての財産権 コロナ禍で侵害された日本国民の権利

コロナ禍で私たち国民の権利が侵害されている! ?憲法学者「倉山満」率いる「救国シンクタンク」がおくる”日本の未来を考える”シリーズ第1弾。世に問う真の憲法論。

ー「コロナ禍だから」と好き勝手に国民の権利を制限する資格は誰にもない。ー

2020年1月より日本でコロナウィルスの感染が確認されてから、2年が経過した。コロナウィルスが蔓延してから、私たちの社会生活は大きく変化した。変化した日本社会に生きる私たち国民が、コロナ禍における「日本国民の権利」について改めえて考える時が来たのではないか。

【本書要約】
本書の目的は、コロナ災害という有事の際に、日本国憲法がどのように機能するかを検討することである。文明国の憲法は、まさに有事の際に国民の権利が不当に侵害されることを防ぐために作られている。

この序論で、まず「憲法」と「憲法典」の違いを説明する。憲法とは日本という国の歴史、伝統、文化などを指し、憲法文書とは憲法(日本国憲法)のことである。憲法典だけで政治を行うことはできないので、憲法(日本国の歴史、伝統、文化)が求める政治を行っているか、政治を行う上で憲法違反がなかったかを検証することが必要である。

コロナ災害後の日本政府の大まかな動きを時系列で見ていくと、政府が非常事態を宣言し、国民の様々な権利を制限するという超法規的な対応が多く見受けられる。国民の自由が制限され、政府は国民に犠牲を押し付けながら十分な議論をせず、疑問や違憲の事態を招いたのである。現在の日本では、行政機構が適切に機能しているかを監督する大臣も、大臣をチェックする国会も、その役割を果たすことができない。

第1章では、憲法論議の基礎となる国家運営に必要な原則を示す。日本国憲法は、第11条と第97条の2つの条文で人権の尊重を謳っている。現代の「20世紀型人権」は、より「人間的」であり、「社会権」と呼ばれるものである。社会権」とは「人間らしく生きる権利」のことであり、日本政府はまだこの問題に取り組む準備ができていない。このことは、憲法論として重要な問題を提起している。

第2章では、一般的な憲法学で想定される有事の定義を紹介しながら、有事における憲法のあり方について論じる。国家は国民の生命と財産を守る責任を負っており、国会はこの点で重要な機関である。しかし、日本では、コロナ災害のような有事の際の補償の議論もおろそかにされてきた。日本政府の見解は「補償は不要」であり、「補償」という概念すら認めていない。憲法上、「自粛者には十分な補償を行う」か、「自粛は必要ないので補償は不要」の二者択一しかありえないのである。ところが、今回の特措法改正案は、「自粛をさせるが、十分な補償はしない」という内容で成立してしまった。

第3章では、まず、自由は無限ではなく、公共の福祉のために制限されるという「内在的制約説」を取り上げた。従来の政府解釈では、「補償を必要としない警察目的の消極的制約は最小限にとどめなければならない」とされていたが、菅内閣がこの政府見解から逸脱していることを説明した。

第4章では、YouTubeの番組「チャンネルくらら」の内容を紹介した。日本維新の会幹事長の馬場伸幸衆議院議員と国民民主党の玉木雄一郎代表が、コロナ災害に関する特別措置法の改正や規制の補償について、国会で対談している様子が紹介された。また、西村経済再生担当大臣の国民の自由を侵害しかねない大失言についても、憲法の観点から解説している。

巻末には、経済的自由権をめぐる憲法論争を鼎談し、コロナ事件などの有事における憲法の運用を検証している。自由な議論が許され、財産権が守られる社会が実現されなければならない。救国シンクタンクは、これからも自由の大切さを発信していく。